モロッコの国民性が他責なのは言葉の構造の所為だった!?

モロッコあるあるネタの一つにモロッコの人々は自分の非をなかなか認めないというのがあります。日本人が謝り過ぎなのもよく言われますが、それと本当に正反対!国民性かと思っていたけど言葉そのものが理由だった…?

『風邪を引いた』デリジャで何て言う?

アラビア語モロッコ方言=デリジャ。

デリジャのクセを分かりやすく伝えるのに適した文があります。『風邪を引いた』仏語とデリジャではそれぞれ何と言うのでしょうか。

フランス語> j’ai attrapé froid (直訳 私が風邪(寒さ)を捕まえた)
デリジャ> ドルブニッ ベルドゥ (直訳 風邪(寒さ)が私を叩いた)

日本語では引く、フランス語では捕まえる、デリジャは叩かれた、更に中国語では感じる…言語によってニュアンスが違うのが面白いですね。デリジャの向こうがやったという言い回しが引き立ちます!他にもこういう例がいっぱいあります。

『電車に乗り遅れた』は…

フランス語> J’ai manqué le train (私が電車を逃した)
デリジャ> ムシャーリヤ ットゥラン (私から電車が去った)

時間に間に合わない時も ムシャーリヤ ルワクツ (私から時間が去った)

電車という公共物も人智を超えた時間でさえも、自分じゃなくて向こうがやらかしたみたいな言い回し…!自責感情が強い日本人もこの位のメンタルを持った方が良いのではと感心せずにはいられません!

合言葉はマシーアナ

子育てしていても、子どもが悪い事をしたらまず謝らせる日本の躾とは全く違って、とにかく子供が謝らない、謝らせないなと思います。子どもも大人も「マシ―アナ」=ぼくじゃない。が合言葉。

夫婦の会話でも未だにこれでイラっとせずにはいられないんですよね…

先日、車を修理に出したのでバイクを借りて夫と二人乗りしていたら、夫がキャップみたいに被ってただけだったヘルメットが風で飛んで私の顔を直撃したんです。「痛っ!」という私にすかさず言ったのは、

マシ―アナ!(僕じゃない)風の所為だよ

故意に飛ばしてないのは当たり前でしょっ!アナタがちゃんと留めてなかったから飛んだんでしょ?まず謝ってよ!とブチギレました。…ほんとに痛かったんです…

他にも夫が私に、子どもたちについてここが良くないみたいなネガティブな話をする時の主語は決まってウルドゥック『君の息子』。あなたの息子でもあるんですけど?と突っ込みたくなります。ウルドゥックね結構結構。じゃあ試験で満点だった時の主語はどう言うつもり?と聞いたら、

もちろんウルディー『僕の息子』だよ。

との答えwすごい性格の夫だと思われるかもしれませんが、モロッコ夫婦間で躾など不満を言い合う時は決まってお互い主語は『あなたの子』なのだと本人も笑っていました。まぁ『僕の子』が主語だと自分を責めることになって相手に不満を言う会話に適さないんでしょうが、『私達の子』でよくない?日本語は主語を極力言わない言語なので、主語でもわざわざ他責にするところ、2重にカチンとくるんですよね。苦笑

卵が先か鶏が先か、言葉がこうだから他責なのか、他責だから言葉がこうなったのかは分かりませんが、正則アラビア語ではあまりない表現らしいです(^^;

因みに仏語もデリジャも多少かじってるだけで専門的見解ではありませんのであしからず。書いてみて改めてデリジャの性質を認識できたので、今後はこの手の言い回しにイラっとしないで済めばいいなと思います!!

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