フランス統治とユベール・リヨテ
モロッコがフランスの保護領だったのは1912年~1956年の事。当時の首都フェズで保護条約が締結され、モロッコ統治の総督となったのが有名なユベール・リヨテです。各地の植民地統治に係ったリヨテ将軍、熱心な王党派カトリックであり、文学サロンでブルーストとも親交があった奇才(変人)と評されています。
リヨテ総督が行った統治の影響は現在も各所にみられますが、一番それを感じるのがどこの街にも『旧市街』と『新市街』があること。旧市街はメディナであり、フェズで言う迷宮都市です。統治の際、メディナはとてもヨーロッパ人が住める、扱える代物でないとそのままにされ、ヨーロッパ人向きの新しい地区を建設したのが、伝統的な城壁居住区と欧州的な都市が両立している理由。モロッコの文化価値が分かるのはモロッコ人でなくフランス人であるという上から目線ではあったようですが、リヨテ総督は現地の伝統文化を破壊せず、新たに門を建設したり城壁の補修も行ったそうです。
軍人であり文化人だったのですね…
モスクに観光客が入れない理由
トルコのモスク・アヤソフィアに入った時、モスク内でお祈りをしている人達がいて驚きました。観光客がどっと入れるモスクだったので、お祈りには使われない博物館的な建物だと思ったのです。モロッコでは観光客はモスクに入れないので、それが当たり前だと思っていました。
なんとモロッコのこの掟を決めたのはイスラーム指導者でなく、統治者であるユベール・リヨテだというので驚きです。保護条約の中に『宗教的建物は学問と祈祷の場以外のものであってはならない』という条項があったそう。
リヨテ将軍、軍人であり文化人であり、宗教家でもあったと…!
近年のリヤドブーム
植民地時代から時は流れ、2000年代には外国人によるリヤドブームが訪れました。私が最初にモロッコに行った2005年頃が正にそうで、外国人がメディナの家を購入する不動産バブルが起きていました。フランスでリヤドを改修するリフォーム番組が放送され、人気に火を付けたと言われていたような…
メディナは道が狭く車が入れないし、建物も古い。モロッコ人は経済発展と共にメディナの古く不便な家を売って郊外に車庫&庭付き邸宅を建てるのを好み、やはり古さと伝統に魅力を感じるフランス人を中心に、外国人オーナーのリヤドやレストランが急増しました。保護領時代とは逆転!一方、外国人ばかりが暮らすメディナなんてメディナじゃないという声も。モロッコ人にとって大事なのは、見た目の伝統でなくご近所との昔ながらの人付き合いだったからです。
コロナ禍と再開発
リヤドブームも一段落した所にコロナ禍が襲い、多くの外国人がメディナの店を閉めたと言われています。しかし行政はしたたかに人のいないコロナ禍の間、各所で大きな改修工事を行っていました。天井の日よけ装飾や店の外観などが統一して作られ、新しくも伝統を守った新たなメディナが出来ています。モロッコはこういう景観を守った再開発が上手い!リヨテ将軍の影響が上手く引き継がれたのでしょうか…?
すでに世界中から観光客が押し寄せ、再び活気を取り戻しているメディナ。現在進行形で進化を続けていく文化遺産から、今後も目が離せません!
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