【イスラムと女性】モロッコの女の人生ノンフィクション①従妹編

日本でもジェンダー格差は色んな場面で問題になっているけど、モロッコの女の生き辛さは、もちろん日本の比ではありません。医療従事者や教師、警察官や公務員、銀行員にも女性は多くけして社会進出してないわけではないけど、「安定した職業」を得られるのはほんの一握り。
結婚して子を成し母となる以外の人生の選択がほぼない以上、結婚できるか否か、子供が出来るか否かにかかるプレッシャーは相当なもの。イスラムと女性、統計や政治に現れない肌感覚の女の人生に切り込みます。
*以下2019/08/09に書いた前アメブロを再編したものです。

プロローグ

イスラムは婚前交渉を禁止しているので、ソフトイスラムと言われるモロッコでも、未婚の男女交際は親の不認可はもちろん、下手すれば逮捕される危険もある。今まで敢えて多くを語ってこなかったモロッコ女性の人生。世間的に不名誉な話になるので、身内や身近な人間の醜聞を書くのははばかれた。けれど、モロッコに十数年暮らし、多くの女性たちと長い時間を共にして、親族や身近な人間に限った話でなく、この国の女性は大方このような生き辛さを抱えているのではないかと思うように。少しづつ、私が実際に知っている事実の話を書いてみようと思う。

未婚での出産『ファティマ』

私は独身の協力隊員時代から夫の家族とも交流があったのだが、ある時、夫の従妹ファティマ(仮名)が未婚で子供を出産したと大騒ぎになった。

信じられないことに、一緒に狭い家で暮らしている家族も赤子が出てくるまで妊娠に気付かず、母親が野菜を買いに行って、家に戻った時には娘が自宅で一人出産していたという話だった。(夫は母親は気付いていたはずだ。とも言っていた)もちろん未婚の出産はあってはならないこと。ファティマは血気盛んな兄達を恐れて、夫の実家に生まれたばかりの赤子と身を寄せていた。それでも赤子を抱いた彼女はどこか吹っ切れて見え、愛おしそうに抱いていたのが印象的だった。きっともう,悩んだり泣いたりはし尽くしたのだろう。一度も検診を受けず、一人で自宅で出産した赤子は顔立ちの整った可愛い女児だった。

家族はもちろん相手の男を問い詰め、認知し婚姻するよう求めた。

けれど、子の父親は自分の子ではないと突き放し、なぜなら彼女は結婚前に男と寝る女だから、他の男とも関係しているだろうと言ったらしい。結局生まれた子は、家の前で見つけた捨て子をファティマの両親が養子として引き取ったという形で、ファティマがそのまま自宅で育てることになった。兄達は真実を知っていたが、父親には絶対に言えないと、家族親族みんなで隠すことに。書類上、彼女は自分の娘と姉妹ということになる。

話はこれで終わらない。さらに追い打ちをかけることがこの家族に起こった。

同じ轍を踏む姉『ザハラ』

ファティマは2人の兄と2人の姉妹がいる、5人兄妹だった。どちらかと言えば貧しい家で、5人も子供がいてさらに赤ん坊を養子にして、近所の人やコミュニティーから実際どう思われたのかは分からない。可愛い赤ん坊はすくすく育ち、日に日に母親に似ていった。

間もなく私は婚姻し、結婚式を現地で挙げ、従妹一家も近しい親族として総出で出席してくれた。そしてモロッコで本格的に暮らし始めた頃だと思う。信じられないことに、ファティマの姉が、全く同じように未婚で女児を出産してしまったのだ。

一度目は大騒ぎした親族たちも、2度目にはあきれ果てていた様子だった。妹を見て何も学習しなかったのか、一体どうして姉妹で同じ轍を踏むのだ!

ザハラ(仮名)は、当時30代後半だったと思う。モロッコでは完全に婚期を逃していた年齢。当時はなんて馬鹿な姉妹だろうと思ったが、お金も若さも何もない彼女が唯一相手に差し出せるものが、貞操だったのだとしたらやるせない。周囲から侮蔑されても最後のチャンスにかけたのだろうか…。そうして妊娠出産しても、同じように相手の男に拒否され、さすがにこの一家の2人目の養子とするのは無理なので、他人の家に養子に出すことになった。

赤子の引き取り手とその後

引き取ったのは親族の知人で、息子がすでに2人いて娘が欲しいと言った家庭だった。イスラムでは預言者ムハンマド自身が養子であったことから、養子を育てることは徳とされ、けして珍しくない。ただし今回は夫と親族の男性2人しか、この赤子の引き取り先は知らない。後々に問題が起きないことを条件に引き取ってもらったのだ。

その後、母のザハラも親族の女性たちも知らない子の行く末を、偶然に垣間見たことがあった。

私が長男を出産し、予防接種に地域の診療所で多くの女性たちと共に順番を待っていた時、夫がこっそり、あの母親の赤ん坊がザハラの子だと教えてくれた。その子を抱いていたのは中年女性だったが、向こうも夫に気付き遠くから挨拶し、敬虔さの象徴とも取れる腰まで隠した長いスカーフの上から、子供を一枚布でたすき掛けにおぶって、自ら運転するバイクで走り去っていった姿に、モロッコ女性の逞しさを見て感心したのだった。

それから10年以上が経過した。

予防接種以来、その親子に出会ったことはない。

 

エピローグ

手元で育てているファティマの娘は、私の身長をすでに超え、すっかり美少女になった。同じ境遇でありながら、子とも別れ何も手に入れられなかったザハラは、どんな思いで美しく育つ妹の娘を見ているのだろう。

時期的に、私の結婚式に出席していた時、ザハラはすでに妊娠していたはずだ。だとすれば、皆に祝福される花嫁の式に、奈落に落ちる気分で出席していたのではないか…。そう思うと、年を重ねた従妹の家には年々行く気になれず、会っても挨拶以外話題が無いのだ。年頃になってきた従妹の娘たちに幸多い人生が訪れればいいのだけど…。

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