モロッコでお金について考える

日本人には馴染みのないチップや物乞いへの喜捨、外人と見ればタクシーはぼったくるし土産物屋ではふっかけられる…お金を払うだけなのに、なぜこんなに消耗させられるのかモロッコよ。前ブログの記事ですが、今だ思うことは同じ。そして今日もチップをスマートに出せなかった事やあの人にしなかった喜捨について引きずったりしています。

3億円当たったら?

「億男」というお金がテーマの小説を読みました。弟の借金3000万円を肩代わりして妻子と別居しながら日夜労働する主人公が、宝くじで3億円を当て、大金に振り回されず幸せになる方法を億万長者の友人に聞きに行く。しかし、友人はその3億円を持って消えてしまうというお話。

佐藤健・高橋一生主演で映画も公開され、マラケシュのメディナやサハラ砂漠が舞台にもなっているモロッコとの関係も深い作品ですが、ひたすらお金について問う小説を読んだ所為で、お金についてしばらく考えていました。3億円の使い道については、自分だけの為に使えばきっと不幸になると思うし、社会に還元したり事業を起こしたりしてお金を循環させるべきだと思いますが、それ(夢)は置いといて現実的な額のお金についてです。

お金における日本とモロッコの公平は違う

モロッコ(アラブ圏)ほどお金の使い方が難しい所もないかもしれません。日本は貧富に限らず誰でも同じ価格で物が提供されている社会。公平に提示された定価を選択するだけです。しかしモロッコは市井に定価は無く、売りたい者と買いたい者の同意で価格が決まる社会。同じ物やサービスでも富める者が多く支払うことが公平だと考えられています。

貧富の差は目に見える形で激しく、1dh(13円)を求め物乞いする人々が沢山いる一方、メイドのいる大邸宅に暮らす人々も沢山いる。私は日々、この両方を目にしながら生活しています。

最初は100DHで仕入れていた物が2回目3回目と仕入れるごとに値下がり、50DHで買えるようになる。お釣りの50DHを払った払わないと喧嘩していれば、通りがかった赤の他人が50DH自分が払うから喧嘩はやめろと仲裁したりする。モロッコでは日給が50DH(650円程度)の仕事が沢山あり、それ以下しか稼げない人も沢山います。

お金はただの銭ではない

価格が決まっていないチップをお互い気持ち良くやり取りするのは至難の業だし、喜捨をしても、赤子を抱え物乞いしてるシリア難民の女性に財布の残りの小銭を置いた後で、あんな可愛い赤ちゃんを前に、何でばらばら小銭を置いてしまったんだろうと後悔する。自分が赤ん坊を産んで連れ歩いた時には、色んな人が子供にお菓子を買ってくれたし、子供を祝福してくれた。そういうのは、ぐるぐる巡っているものだから、今度は私が誰かの子供を祝福しなければならなかったのに…そういう気持ちを教えてくれたモロッコは、やはり奥深い国だと思います。

しかしお金は限りある資産。家族を扶養して自分たちが健康で幸せに暮らせてこそ、他者に思いやりを示すことができる。ひっきりなしにいる物乞いの人みんなに渡すことはできないし、そもそも物乞いに与える事の是非を思う人もいるでしょう。(それはまた別の記事で書こうと思います。)

物乞いへの喜捨について@モロッコ
観光客としてモロッコを訪れると物乞いの多さが目に付くでしょう。日本では馴染みのない行為。彼らの為にならないからあげるべきでないと考える人も多いと思います。モロッコの側から思う事をまとめました。 物乞いに喜捨すべき、すべきでない論争によく登場...

決まりがないからこそたった1dhのやり取りでも難しい。ここではお金はただの金銭でなく、立場や大人の嗜みさえも示してしまうコミュニケーションツールとして機能しているのです。1dhでも数十万円だとしても、嫌々出してはいけないというのが最近気づいたこと。喜んで出せるのであれば、きっと額は関係ないのです。

心に残った格言は

お金に対する格言が沢山出てきた小説の中で、一番心に残ったのは、このお金に関係ない一文でした。

「人は、死ぬこと同様、生きることもまた避けられない」

モロッコの暮らしの中では、お金の格言よりもこの言葉の方が強い説得力を感じるのだと思います。

 

*この記事は2019/02/01に書かれた前アメブロを再編したものです。


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コメント

  1. コメントを書き込める欄がない!と思っていましたが、下にスクロールで見つけました!(良かった_)
    この記事を読みまして、日本に戻って早4年ほど、表示されている数字の額を黙って払えば済む社会にいると、思考することがあまりなくなり、思考が単純、悪く言えば軽薄…になってるかも!?と思いましたよ。モロッコいると否応なく哲学する(といえばかっちょ良すぎかもしれませんが)機会が日常的にあったなあ、と遠い目になりました。
    自分が喜んで出せる金額とは!?なんて考える機会にほぼ巡り合わなかった私のこの4年間、お気楽人間になりすぎないよう気をつけようと思います。
    (托鉢の僧侶が数人で近所を周っているのを見かけた時には、さすがにモロッコ的思考が蘇りましたが…)

    • foukarifoukari より:

      このブログ初コメ!ありがとうございます(^.^)
      もう4年になるんですね~皆さんお元気ですか?
      お金について考えるにはモロッコは本当に深いテーマを与えてくれますね。筆者もこの状況を良く分かって舞台をモロッコにしたのでしょうか?
      日本は哲学思考はテキスト化していて、モロッコはすべてリアルに自分に迫って来るって感じがします。
      そればっかりだと疲れますけど;

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